丸亀製麺論争というのがあるようです。
簡単に言うと、
丸亀にも讃岐にも縁のない企業が、うどんを利用して金儲けをしている
ということに対する批判なわけです。
企業が利益を追求するのは当然という意見も理解できますが、大事なのはそこに「愛」があるかどうかだと思うんです。
今年のタピオカブームがわかりやすいのですが、猫も杓子もタピオカタピオカで、移動販売もこぞってタピオカ、うちの市内の天ぷら屋にいたっては、日中にカウンターでタピオカ販売をはじめました。
僕が、どうにもそれを買う気にならなかったのは、そこに「映え」とか「金」の匂いは感じても、タピオカに対する「愛」を感じられなかったからに他なりません。
でも、「本場ではこんなやり方はしない!」というのはあまり理由にはならないと思います。
世の中はすごい勢いでかわっているわけで、10年後、20年後を見据えたときに、過去のやり方にこだわる前例踏襲主義ともいえるやり方が必ずしも正しくはないと思いますし、未来を考えた変革であるのなら、そのほうが正しいかもしれないわけですし。
そもそも、小麦だって大部分の讃岐うどんは輸入に頼っていると聞いたことがありますが、丸亀製麺は国産小麦を使ってるようです。僕にはどっちがどうとかは判断つかないですが。
そこまで考えてみて、大道芸だってそうだよなぁと感じるわけです。
他人の芸をパクってとりあえず盛り上がようと考えている芸はどうにも底が浅く感じます。多少アレでも、自分の道を追求しようとする姿勢には大道芸に対する「愛」を感じます。
僕が絵本を読んでいることだってそうなのですが、「営業メニューの一環」と捉えられるのは不本意で、どうやったら絵本の面白さを最大限にして伝えられるのかというのを一番に考えています(そういう考えが全く無いわけではないですが)。
以前に打ち合わせで、某図書館の館長さんとお話をしてて「そういう考えて活動しているのならぜひやってほしい」と言われたことがあります。
こんなメニューでやってます!というのは誰でも言えることですから、その中にどんな思いがあるのかは見た目ではなかなか判断がつかないものです。
うどんだってタピオカだって、大道芸だって絵本のよみきかせだって、そこに至る思いを、丁寧に説明することができたならば、丸亀製麺論争なんてのは起こらなかったかもしれませんね。
どっちかというと蕎麦派であり、後のせサクサクより先のせグジュグジュを愛する僕としては、あまり縁のない話なのですが(笑)