こないだから、田島征三さんの絵本「だいふくもち」の練習をしています。
田島さんが幼少期を過ごした高知県の土佐弁がつかわれていて、ちょっと読んでてわからないところがあったので、高知の図書館に聞いてみようと思い立ちました。
暮らしていたのが現在の高知市にあたるということで、高知市の図書館、オーテピア高知図書館に問い合わせてみました。
レファレンス(図書館の調べ物業務)で・・・と問い合わせて出てくださった担当の方、とっても親切に教えていただきました。
気になっていたことが3点あって
床下から聞こえる謎の声に対して、ごさくは「だれじゃぁ、そんなところへ ずびこうだ やつは」と問いかけるのですが、この「ずびこうだ」がどうやって読んでいいかわからない
床下から現れた謎の大福餅は小豆を食わせると小さい大福餅を産みだします。ごさくはよくばって無理やり小豆をたくさん食わせるのですが
「たんまるものか。そんなこと するもんじゃき、やんがて だいふくもちは あずきを くわんなってしもうた」の「たんまるものか。」がちょっとよくわからない。「たんまるものか そんなこと」と続くように思うんだけど、「。」の存在も謎でよくわからない。
あずきを食べなくなった大福餅は、小さくなって消えてしまうのですが「だいふくもちは みてて きえて のうなった。」と書かれていますが、見てるうちに消える? そもそも「見てて」って必要? それとも何か別の意味があるのだろうか。
という疑問でしたが、これを担当の方は見事に解決してくださいました。
まずは「すびこうだ」ですが、なんとなく意味はわかるような気がするんですが、ずびこるというのは、隙間に入り込むみたいな感じらしいです。広いところに入るのはずびこるとは言わず、この場合のような床下のような狭いところに入り込む感じ。
そして、「すいません、ちょっとここ読んでもらえますか?」と声に出して読んでいただきスッキリ解決。
「たんまるものか」はたまらないとかそういう意味かと思ったんですが、実は感嘆の言葉のようです。
「たまるか」ともいうようで、わぁ!!とかそんな感じで、言葉の意味がとくにあるわけじゃないらしい。たんまるものか。の「。」もこれで意味がわかってものすごくスッキリしました。
そして「みてて」は土佐弁で「死ぬ、亡くなる」という意味だそうです。「大福餅は見てるうちに消えてなくなった」ではなく「大福餅は死んで消えてなくなった」という意味だというのです。なんか不自然だなとは思ってたんですけども、これは全く想像してなくって、これまたものすごくスッキリしました。
別に「みてて」が「LOOK」の意味だろうが「DIE」の意味だろうが、発音としてはかわらないんですけども、そこに込められた思いというのをわかったうえで読むのと、わからないままに読むのとでは全く違うと思うんですよね。
登場人物の気持ちにしたってそうで、どういう気持でこの言葉を喋ったのかということを考えるのは、読む上ですごく重要なことだと思うんです。
そんなわけで、これでまたいい感じで読むことができそうです。
お話を伺った、オーテピア高知図書館の担当司書さん、こんな質問に即答で答えてくださって、とても優秀な方でした、ありがとうございました。
ちなみに、高知県立図書館と高知市立図書館が合併して共同運営してるらしいです。
たんまるものか!めずらしい運営方法ですね。全国でもここだけじゃなかろうか。
高知でどっか呼んでくれないかな~ ぜひ行ってみたいもんです。